「レントゲン」を英語でいうと X-ray(エックスレイ)
「コロナ」は英語圏では基本的にCOVID-19(コビット・ナインティーン)by riho
プロローグ
大学で遺伝子解析の仕事に携わっていましたが、予算の都合により別の職場へ異動することになりました。その後、別の場所で働いていたところ、予算が確保できたから大学に戻ってきてほしいと教授から声をかけられました。
しかし、すでに新しい仕事に就いていたため、丁重にお断りしました。教授から再び声をかけてもらえたことで、「予算の都合=評価されていない」わけではなかったのだと感じ、少し嬉しく思ったのを覚えています。
この出来事は、新型コロナウイルスが世に出るちょうど1ヶ月前のことでした
COVID-19に対する初めての警戒
COVID-19が最初に確認されたのは、2019年12月8日とされています。そして、ダイヤモンド・プリンセス号が横浜港に停泊し、大きな問題となったのが2020年2月3日でした。
では、私がCOVID-19を初めて警戒したのはいつだったかというと、2020年1月8日です。この日は手術の立会いがありました。朝の体温は36.8度ほどで、特に異常は感じませんでしたが、午後になると少し熱っぽさを感じました。朝は体調が普通だったものの、夕方には微熱のような感覚があり、予定していたICUへの入室をキャンセルしたことを覚えています。その時、「もしかしてCOVID-19に感染したのでは」と、少し不安になったのを今でも記憶しています。
もう5年も前のことなので、正確にいつCOVID-19という言葉を知ったのかは覚えていませんが、おそらく年明け、つまり1月1日から7日の間だったと思います。1月8日にはすでに警戒してマスクを着用していました。
ヤバい感染したかも
1月8日以降も、体温が上がったり下がったりする状態が続きました。咳や喉の痛みといった典型的な症状はありませんでしたが、微熱が続いていました。
当時は、武漢からの帰国者でなければPCR検査を受けることができない時代でした。症状が軽くても肺炎が進行する可能性があると聞いていたため、何とか医師に頼み込んで胸部レントゲンを撮ってもらいました。結果として肺炎の所見はなく、安心したのを覚えています。
日本では、かなり早い段階でCOVID-19の感染を疑ってレントゲンを撮ったケースだったと思います。実際には「普通の肺炎の可能性がある」という体裁で検査を受けましたが、内心ではCOVID-19の可能性を強く意識していました。
香港からの情報
職場に香港出身の同僚がいたため、彼を通じて香港や中国本土の状況についての情報が入ってきました。
当時、中国では「マスクが手に入らない」「武漢は深刻な状況になっている」といった話が広まっていました。しかし、彼からの情報によると、武漢の詳しい状況は分からないものの、マスクはある程度入手可能とのことでした。駅近くのドラッグストアでは品薄でも、郊外の店舗ではまだ在庫があるという話でした。
こうした情報は、報道とは少し異なっていて、現地に近い視点からの貴重な手がかりになりました。
職場が変わる
実は、この年の1月末に職場が変わりました。元々そのような予定でした。
その際の挨拶で、私はこう話しました。
「お世話になりました。これから新型コロナの影響で、非常に忙しくなると思います。悪い言い方をすれば“かき入れ時”になるかもしれません。大変だとは思いますが、どうか健康に気をつけて頑張ってください。」
この挨拶で、多くの方が笑っていたのを覚えています。ただ、私自身は笑わせようという意図はそれほどなく、「頑張ってください」という気持ちを込めた真剣なメッセージでした。
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