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10年後も番狂わせに燃えた男達
日本サッカー史上最高のジャイアント・キリング、番狂わせと言われるマイアミの奇跡。マイアミの奇跡とは、1996年アトランタオリンピック日本五輪代表がブラジル五輪代表を1対0で下した試合の事です。その後、10年後に2006年ワールドカップドイツ大会においてフル代表で最高の大会で再戦します。グループリーグ突破の為に優勝候補のブラジルに再度番狂わせをしたい日本、10年後にリベンジに燃えたブラジル代表、この舞台に立つことが出来た5人について振り返ってみます。
アトランタンオリンピックU23日本代表
まずは、1996年のアトランタオリンピック日本代表のメンバーを振り返ってみます。当時の代表選手はU23ですので10年後のワールドカップでは30歳前後になります。太文字の選手がワールドカップドイツ大会でも活躍します。最年少は中田英寿と松田直樹です。二人は1977年の早生まれなので2000年のシドニーオリンピックの出場権利もありました。オーバーエイジの選手は誰もいませんでした。マイアミの奇跡 メンバーはこちらです。
GK 1 川口能活
DF 13 松田直樹
DF 5 田中誠
DF 3 鈴木秀人 75分に警告
MF 17 路木龍次
MF 8 伊東輝悦
MF 6 服部年宏 87分に警告
MF 10 遠藤彰弘 75分に交代退場
MF 7 前園真聖
FW 14 中田英寿 82分に交代退場
FW 9 城彰二 86分に交代退場
控えメンバー
GK 18 下田崇
DF 2 白井博幸 75分に交代出場
DF 12 上村健一 82分に交代出場
MF 11 森岡茂
MF 4 廣長優志
MF 15 秋葉忠宏
FW 16 松原良香 86分に交代出場
監督 西野朗
アトランタンオリンピックU23ブラジル代表
GK 1 ジーダ
DF 2 ゼ・マリア
DF 3 アウダイール
DF 4 ロナウド・ギアロ
DF 6 ロベルト・カルロス
MF 5 フラビオ・コンセイソン
MF 8 アマラウ 45分に交代退場
MF 9 ジュニーニョ・パウリスタ
MF 10 リバウド
FW 7 ベベット
FW 11 サヴィオ 64分に交代退場
控えメンバー
GK 12 ダンルレイ
DF 14 アンドレ・ルイス・モレイラ
MF 13 ナルシーゾ・ドス・サントス
MF 15 ゼ・エリアス 45分に交代出場
MF 16 マルセリーニョ・パウリスタ
FW 17 ルイゾン
FW 18 ロナウド 64分に交代出場
監督 マリオ・ザガロ
Yoshikatu Kawaguchi 川口能活(20→30歳)
川口能活は不動の正ゴールキーパーとしてマイアミの奇跡の一番の立役者として大活躍しました。28本のシュートを打たれましたが、0点に抑えました。その後、1998年のワールドカップフランス大会でも活躍しました。2002年はメンバーに選ばれるも楢崎正剛の控えでした。そして、2006年のワールドカップでは再び正ゴールキーパーとして全3試合に出場します。第2戦のクロアチア戦ではPKを見事に止めます。その直後に中田英寿との抱擁はブラジル戦後の中田の引退を考えると特別な思いもあったのだろうと思います。(実際は引退は知らなかったとしてもこのPKで何か感じるものもあったのだろうと私は思いました)
そして、運命のブラジル戦では4ゴールを奪われます。1-0のリードで前半終了を迎える直前にロナウドにゴールを決められます。それまではあのマイアミの奇跡の再現を日本人の多くは期待していました。ジュニーニョ・ペルナンブカーノに無回転のミドルシュートを決められます。「途中でボールが消えた」「あんなシュートは、今まで体験したことがなかった」と試合後に語る次元の違うシュートを為す術もなく決められます。
Dida ジーダ(22→32歳)
前年の1995年にブラジルフル代表にも選ばれていました。つまり、かなりの実力を持ったGKで、オーバーエイジにGKを選ぶ要素はブラジルにはありませんでした。しかし、マイアミの奇跡ではDFのアウダイールと交錯し、倒れている隙に伊東輝悦に唯一のゴールを決められてしまいました。その後、ヨーロッパに渡り、2000年からはイタリアセリエAのミランで正GKとして活躍します。中田英寿より遅れる事、2年後です。もちろんセリエAでも対戦しています。そして1998、2002年のワールドカップ代表も経験して、2006年のワールドカップドイツ大会を迎えます。「ジーダを評する時に飛び出しの安定感に欠ける事がある」と言われます。マイアミの奇跡でも正に飛び出しの判断の問題で失点します。これはこの失点からそうなったのか、元々の判断力の問題だったのかは今から調べる事はナンセンスでしょう。
Hidetoshi Nakata 中田英寿(19→29歳)
2020年現在でもヨーロッパで一番成功した日本人選手です。マイアミの奇跡当時は19歳のプロ2年目でした。守備的なチームでオフェンシブな選手は中田、前園、城の3選手でした。1996年はまだフル代表デビューはしていません。フル代表は1997年の最終予選の直前でした。ちなみに前園、城は1994年のファルカン監督の時にデビューしています。アトランタオリンピックでの中田を語る上で外せないエピソードは二戦目のナイジェリア戦です。0-0で迎えたハーフタイムで中田はボランチ等にもっと攻撃参加して欲しいと提案しますが、監督に却下されます。ディフェンス陣や監督と感情的な対立もあったとも言われています。ただ、DFの松田はこの提案は正しいと思いつつも最年少だったので声をあげる事が出来なかったと後に語っています。その影響か3戦目のハンガリー戦には出場していません。そして、中田は2006年のワールドカップのブラジル戦でプロの最終戦に臨みます。
Roberto Carlos ロベルト・カルロス(23→33歳)
1992年にフル代表を経験していたものの、1994年のワールドカップには選出されていません。1993、1995のコパ・アメリカに参加しているので国際経験は豊富です。アトランタオリンピックの年にイタリアのインテル・ミラノからレアル・マドリーに移籍にして銀河系軍団の一員になります。(とは言っても銀河系軍団のメンバーはまだラウールとイエロぐらいしかいませんでした)アトランタオリンピックではその左足のFKは不発でした。2002年のワールドカップ日本・韓国大会で優勝して連覇を目指していたロベルト・カルロス。この日本戦の2戦後の準々決勝のフランス戦の敗退を最後に代表から引退します。
Ronaldo ロナウド(19→29歳)
ベベット、アウダイールとともにロナウドも1994年のワールドカップアメリカ大会の優勝メンバーでした。オランダのPSVからスペインのバルセロナに移籍するのが、アトランタオリンピックの後です。この次のシーズンから数年間がロナウドの全盛期でバルセロナのボビー・ロブソン監督に「戦術はロナウドだ」と言うのがオリンピック直後の1996/1997年のシーズンでした。その後、大怪我から復活し、2002年のワールドカップ日本・韓国大会で得点王をとり優勝に貢献しました。2006年のワールドカップで唯一のワールドカップ優勝2回のタイトルを持っている選手として日本戦に望みます。コンディション不良でロナウド不要論を日本戦の2ゴールで黙らせます。そして、ゲルト・ミュラーの当時のワールドカップ通算ゴール記録を塗り替えます。
届かなかった選手たち
田中誠(20-30歳)
は1996年当時ジュビロ磐田に所属していました。アトランタオリンピックではリベロとして活躍します。DFとしては小柄で所属チームのハンス・オフト監督でさえ、「オリンピックのレギュラーを難しい」と言われていました。ジュビロ磐田ではレギュラーでもありませんでした。その後、ジーコ体制になりフル代表に定着します。2006年ドイツW杯の代表メンバーにも選出されましたが、ドイツでの直前合宿中に肉離れのためチームを離脱し帰国しました。残念ながら本大会への出場は叶いませんでした。ドイツで孤立してしまったと言われていた中田英寿より2歳年上な事を考えると田中誠の離脱は結果を考えると大きかったかもしれません。
松田直樹(19→29歳)
ドイツワールドカップの予選中に起用法の不満をジーコ監督に露わにして代表から外れます。その後、ジーコ監督に謝罪の手紙を出し、中田が監督への代表復帰を進言した報道もありましたが、ワールドカップメンバーには選ばれることはありませんでした。マイアミの奇跡のメンバーでドイツワールドカップのメンバーに実力があり、怪我などもなく選出されなかった唯一の選手だと言えます。彼も同学年の中田英寿へ意見を言える貴重な選手だったと言われていました。
前園真聖(22→32歳)
アトランタオリンピック時のキャプテンでした。A代表と掛け持ちで活躍し、オリンピック後にスペインのセビリアへの移籍も話もありましたが、交渉は難航して破断になります。Jリーグ開幕のブームが去ってもCMキングにもなり、テレビを付ければ「前園」でした。1996年のアジアカップに出場するもののベスト8で敗退し、翌年の1997年を最後に代表には選ばれなくなります。当時背番後は代名詞の7番ではなく8番でした。前園と入れ替わり代表に入った中田英寿は7番ではなく8番で代表デビューします。2004年に引退し、現在は解説者、タレントして活躍しているのはご存知の通りです。
エピローグ
2022年現在、マイアミの奇跡の現役選手は伊東輝悦選手(アスルクラロ沼津)のみです。アトランタオリンピック時の西野朗監督は2018年のワールドカップロシア大会の代表監督になり日本をベスト16に導きます。アトランタオリンピックの時はブラジルに勝利したものの守備的過ぎると批判もされました。ロシア大会では見事に結果を残しました。ブラジルのマリオ・ザガロ監督に直後の1998年のワールドカップフランス大会では優勝を期待されていましたが、準優勝におわりました。日本、ブラジル双方のメンバーが現在は指導者になっています。彼らの今後に期待したいです。
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